真誠講看板
明治8年(1875)頃
明治時代になっても鉄道が未発達の時代には、物資輸送の大部分は江戸時代までと同様に、護送人が荷物を積んだ牛馬と共に、宿泊を重ねながら街道を往来するという方法でした。「真誠講」は内国通運会社が明治7年(1874)から輸送の拠点となる優良な旅館を組織したもので、これらの旅館を一般に紹介するサービスも行いました。本資料は加盟旅館の軒先に掲げられていたものです。
講元として名前が記されている佐々木荘助は江戸の飛脚問屋・和泉屋の支配人を務め、陸運元会社(明治5年〔1872〕創業・明治8年に内国通運会社と改称)の設立に尽くした人物で、のちに内国通運会社の社長となりました。